スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【--/--/-- --:--】 スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-) | Page top↑
梶原平馬の墓
梶原平馬の墓



北海道根室市西浜町の市営西浜墓地にある梶原平馬の墓所。
明治維新後、旧会津藩の名誉回復のために奔走し、青森県庁に務めていたこともあったが、庶務課長を2年務めた後消息を絶ったという。

昭和63年、根室市の同墓地で平馬の墓が発見された。風化してわかりにくいが「鳳樹院泰庵霊明居士」という法名が刻まれている(らしい)。
平馬は最初山川大蔵の姉を娶っていたが、後に離婚。
二度目の妻水野貞は、私立根室女子小学校の初代校長を務めるなど、女性教育者として根室の教育史に名を残す人物だそうで、その関係で根室に移り住んでいたらしい。


【墓参之記】
梶原平馬の墓所が根室の西浜墓地にあるということを知って、根室へ行くことになった時、これはもうお参りしてくるしかない、と思っていた。
同行する夫にそのことを告げたら、何も言わなかったが、おそらく又悪い虫が・・・とでも思ったことであろう。

根室市西浜町までたどりつき、おそらく墓所の近くであろうガソリンスタンドで、「西浜墓地」の場所を尋ね、場所はわかったものの、墓地に入ってからが大変だった。
見渡す限りの「墓石」(当たり前だが)。綺麗に区画整理されているが、これではどこに目的の墓があるのやら・・・
ネットで検索して印刷した写真を頼りに、一つひとつしらみつぶしに探すしかないか、と思い、同行した家族も動員させてお墓探しに奔走。

訪問したのが、ちょうどお盆にはいるの時期でもあり、お墓参りの人やお墓掃除に来ている人達がいた。
お墓掃除をしていたひとりの男性に
「梶原平馬の墓をご存知ありませんか?」と聞いてみた。
「梶原平馬???」
たぶん誰も知らないだろうな?、と思っていたが、持っていた写真を見せると、
「たぶんこの写真からしてメインストリートより下のほうにあると思いますよ。」というお返事を頂戴し、その場をあとにした。(その後もその方はお一人でお墓探しを手伝ってくださったのでした。感謝です)

持っていた写真のお墓の背景には海(オホーツク海)が写り込み、平馬の墓の後ろに比較的新しい黒い墓石で「1992」という文字が刻まれたものが見える・・・
海、黒い墓石、海、黒い墓石・・・・
そしてついに、発見。

それは蒼くきらめくオホーツク海を遠景にひっそりとたたずんでいた。
平馬の墓の背後に見えていた「1992」の文字は、幕末、ロシアへ漂流し、ラクスマン一行と共に根室にやってきた小市(伊勢白子の人)の慰霊碑に刻まれた文字であった。(1992年に建立)

本当に「ひっそりと」という表現がぴったりなくらいのお墓のたたずまいであった。平馬の後半生を物語っているような・・・



小市慰霊碑
小市の慰霊碑



【梶原平馬】 天保13(1843)?明治22年(1889)
会津藩家老内藤信頼(2200石)の次男。梶原家に養子に入り、梶原家を継ぐ。
文久2年(1862)会津藩主松平容保が京都守護職として上洛すると、側近として随従。
戊辰戦争では主戦論を唱え、奥羽越列藩同盟に尽力する。
敗戦後、容保が江戸護送となった時、随行し、鳥取藩池田邸に幽閉される。容保の子容大の家名相続を新政府に嘆願するなど、旧会津藩の名誉回復のために奔走した。
明治3年斗南に移住し、青森県庁の庶務課長を務めたこともあったが、その後の消息は不明。明治22年没。47歳。

スポンサーサイト
【2005/08/28 12:34】 新選組・幕末 | トラックバック(0) | コメント(0) | Page top↑
PROFILE
よーぜん
  • よーぜん
  • RSS
CALENDAR
06 « 2017 / 07 » 08
S M T W T F S
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
RECENT ENTRIES
RECENT COMMENTS
RECENT TRACKBACKS
ARCHIVES
CATEGORY
LINKS
SEARCH
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。