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利常灰塚
haiduka.jpg


加賀藩第三代藩主前田利常は、藩祖前田利家の四男で、兄利長の養嗣子となり、第3代藩主を継ぎました。
万治元年(1658)、江戸城普請から帰国した利常は、普請の気苦労から解放されたためか、隠居城である小松城で倒れ、そのまま帰らぬ人となりました。

利常はこの地で荼毘に伏せられ、野田山の墓所に葬られました。
石碑には「加越能国主従二位前田利常公灰塚之址」の文字が記されています。


前田利常】 文禄2年(1593)?万治元年(1658)
父は前田利家。母は寿福院(ちよぼ)。
子のない異母兄の利長の養子となり、前田家を継ぐ。
正室は2代将軍徳川秀忠の娘の珠姫(天徳院)。
寛永16年嫡男光高に家督を継がせるが、時を同じくして次男利次を富山藩(10万石)に、三男利治(7万石)を大聖寺藩に分封した。
幕府の一国一城令の例外として、利常は隠居城として小松城を認められた。
子の光高が正保2年(1645)36歳で没すると、その子綱紀がわずか3歳で家督を継いだため、利常は綱紀の後見として、再び藩政を見ることとなった。
「改作法」などによって加賀藩の財政の基盤を築いた。
また、江戸において、幕府の警戒を解くために鼻毛を伸ばして「うつけの殿」を装っていたという逸話は有名である。


利常灰塚
小松市埴田町の加賀産業道路沿いにある。(金沢から加賀方面に向かって左手)
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【2005/04/29 09:55】 前田家 | トラックバック(0) | コメント(0) | Page top↑
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