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前田安勝・利好の墓
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これも七尾市長齢寺にある前田安勝とその子利好の墓。

安勝は前田利家のすぐ上の兄で、利家がもっとも頼りとしていた人物の一人です。
豊臣政権の重鎮となった利家に代わって、特に能登の統治を任せられました。天正10年(1582)越中における織田軍対上杉戦においては、前線にあった利家らを後方から支援するなどして大いに戦功を上げました。
兄でありながら弟を支え、常に裏方に徹していた安勝。彼なくしては利家も中央と領国と上手く治めていくこともまかりならなかったでしょう。

安勝の死後、子の利好がその跡をついで、七尾城代となりますが、利好の死後は利家の子知好がその名跡を継ぎました。

彼らの墓は七尾の町を見下ろす高台に建てられています。
死してなお、安勝父子は七尾の町を見守り続けているのです。

なお、長齢寺の宝物館には安勝の肖像画も展示されています。


nanao02.jpg

宝篋印塔
利家と利長の供養塔。右が利家で、左が利長のもの。




【前田安勝】 ??文禄3年(1595)
 前田利春の三男で、利家の兄。通称五郎兵衛。
 文禄3年5月22日没。法名は天翁道清居士。


【前田利好(良継】 1565?1605
 安勝の嫡男。通称播磨。安勝の死後、七尾城代を継ぐ。


【前田知好】 1590?1628
 前田利家の三男。通称修理。母は利家側室の在(小塚氏)。
 7歳の時仏門に入るが、長じて還俗し、兄で2代藩主前田利長に仕える。慶長15年利好が没するとその名跡をついで七尾城代となる。大坂の陣にも参戦。幕府の一国一城令によって七尾城が廃城となると、元和2年京都鞍馬山に隠棲し、剃髪して「有庵」と称した。
 
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【2005/05/27 10:15】 前田家 | トラックバック(0) | コメント(1) | Page top↑
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コメント
安勝の家は山城の親友 ひょっと斎の嫁の実家でしたかな?(あ、挨拶もせず済みません。おじゃまします。)さすが、前田家重臣の墓所。立派です。山城や謙信公の墓所へは行った事はあるのですがなかなか休みが取れずお参りしたい人を尋ねられません。楽しみにしていますので、お忙しいでしょうが更新よろしくお願いします。
【2006/06/15 00:51】 URL | 至ボランテ #-[ 編集]
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