スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【--/--/-- --:--】 スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-) | Page top↑
浅井家三代の墓
azai.jpg



徳勝寺は、長浜駅から車で約5分。歩いても10?15分くらいの距離でしょうか。静かな住宅街の中にあります。
ここは浅井家の菩提寺。こじんまりとした寺院です。

浅井氏は、北近江の小谷城主として精力を張った戦国大名でした。亮政のときに北近江を制圧し、子の久政、孫の長政と続きます。
天正元年(1573)8月、織田信長に攻められて小谷城は落城し、久政・長政父子は自刃して果てました。

徳勝寺はもとは小谷城下にありましたが、秀吉によって長浜に移されました。

右から久政、亮政、長政の宝篋印塔が並んでいます。


【浅井亮政】 ??天文11年(1542)
 もと京極氏の被官であったが、天文3年(1534)ごろには江北(北近江)の地を押さえた。
 天文11年正月6日、小谷城で死去。

【浅井久政】 (?)?天正元年(1573)
 亮政の子。天文16年(1542)家督を継ぐ。
 京極氏・六角氏らに圧迫され、苦境にあった。
 天正元年、小谷城落城の時自刃。

【浅井長政】 天文14年(1545)?天正元年
 久政の嫡男。永禄3年(1560)家督を継ぐ。同年六角義賢を破り、その後勢力圏を広める。
 信長と同盟関係を結び、永禄11年には信長の妹お市の方を妻に迎えた。
 信長が越前進出を始めると、以前から同盟関係にあった越前朝倉氏に加担し、信長と敵対することになる。
 元亀元年(1570)6月姉川で織田・徳川連合軍に敗れ、天正元年8月、朝倉氏の滅亡に続いて小谷城も陥落。長政は父久政とともに自刃。
 落城直前にお市の方と3人の娘(後の淀殿、京極高次妻・お初、徳川秀忠室・お江)は城を脱した。


【徳勝寺】長浜市平方町


スポンサーサイト
【2005/05/29 11:55】 戦国時代 | トラックバック(0) | コメント(0) | Page top↑
<<息長陵 | ホーム | 前田安勝・利好の墓>>
コメント
コメントの投稿











管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバックURL
PROFILE
よーぜん
  • よーぜん
  • RSS
CALENDAR
10 « 2017 / 11 » 12
S M T W T F S
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
RECENT ENTRIES
RECENT COMMENTS
RECENT TRACKBACKS
ARCHIVES
CATEGORY
LINKS
SEARCH
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。