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前田利長墓所
加賀藩第2代藩主前田利長の墓所。
利長の墓所は、金沢市の野田山にもありますが、こちらは富山県高岡市のもの。
利長は、異母弟の利常に家督を譲ると、富山城に入りました。ところが富山城が火災で焼失してしまったため、現在の高岡の地に城を築き、この地で没しました。(慶長19年没)

跡を継いだ利常は、菩提寺として瑞龍寺を建立しました。その瑞龍寺の正門からまっすぐに伸びる八丁道と呼ばれる道の先に、利長の墓所はあります。この墓所は、正保2年(1645)、利常が利長の33回忌に建てたもの。現在の墓所の広さは10557?(約3199坪)、堀と石垣に囲まれた石塔(写真)の高さは11.8メートルと武将の墓としては全国でも屈指の大きさを誇っています。

toshinaga01.jpg

墓所の入り口


toshinaga02.jpg


夕闇迫る頃参詣したので、画像が見づらくなっています・・・・


前田利長】 永禄5年(1562)?慶長19年(1614)
 前田利家の長男。母は芳春院。加賀藩第2代藩主。織田信長の娘永姫を妻とする。
 天正13年(1585)秀吉より越中砺波・射水・婦負三郡を与えられ、守山城主(現富山県)となる。慶長3年(1598)、家督相続、翌年父利家が死去すると、五大老の一人として秀頼を輔弼していたが、やがて徳川家康の勧めもあって国許に帰った。帰国した利長は、家康から謀反の嫌疑をかけられるが、母芳春院を証人とすることで事なきを得た。
 関ヶ原の合戦では東軍につく。北国での戦功が認められ、40万石を加増され、加越能120万石の大名となる。
 利長は異母弟の利常を養嗣子とし、家督を継がせる。慶長19年(1614)5月病没。
 一説に、利長の死は、大坂の陣を前にして、大阪方から味方するよう誘いがあったことなどから、利常の立場を慮っての服毒死であったとする。
 

前田利長墓所】高岡市大野


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【2005/04/22 09:47】 前田家 | トラックバック(0) | コメント(1) | Page top↑
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コメント
すごいですね!
【2005/12/13 10:28】 URL | モブタ #-[ 編集]
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