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為盛塚
tamemotituka.jpg


寿永2年(1183)5月11日・・・
北陸道を通って京師へ進軍する木曽義仲の軍と、義仲追討のため京師を発った平維盛を総大将とする平家軍は砺波山で対峙します。
義仲の火牛の計によって、平家軍にとって地獄絵図さながらの一夜が明け、翌12日未明・・・
源氏方に逆襲を図ろうと、三河守知度と平為盛が、手勢50騎あまりを率いて、敵の中に駈け入りました。
赤地錦の直垂に、紫裾ごの冑をかぶり、黒鹿毛の馬に乗った知度、一方の為盛も、魚綾の直垂に萌黄匂の冑をつけ、連銭葦毛の馬に乗っています。見目麗しい両人のいでたちは、遠目にも相応の武将と見受けられます。
源氏方に取り囲まれ、奮戦の末、もはやこれまでと悟った知度は自害して果てました。
為盛も、源氏の兵と組み合っているところを、義仲の郎党樋口次郎兼光によって首をはねられました。

この塚は、為盛を弔うために造られたもので、鎌倉時代の建設であるそうです。


【平為盛】 
 池の大納言平頼盛(忠盛の五男。清盛の弟)の子。木曽義仲討伐軍に平維盛の武将として参戦したが、樋口次郎に首をはねられ死亡。

【平知度(とものり)】
 清盛の七男。三河守。富士川・墨俣両合戦にも参戦した。

【樋口次郎兼光】 
 木曽義仲の家臣。弟の今井四郎兼平と共に義仲に従軍。義仲の愛妾巴御前は、兼光の妹。


【為盛塚】 倶利伽羅峠 源平供養塔の裏手にある。
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【2005/05/06 12:03】 源平関係 | トラックバック(0) | コメント(0) | Page top↑
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